そばのウンチク
百聞は一見にしかず!自分で打つのも良いかも。 | ||||
信州ふるさと便 | ||||
信州 たちばな屋 旬鮮便 | ||||
こだわりの蕎麦打道具
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信州そば打ち専用道具 |
はじめに
関東では、11月は新そばの季節。そばの実は成長が速く、わずか75日で収穫期を迎え、7月と10月の年2回収穫されますが、とりわけ秋に獲れるるそばは、夏のそばより味も香りも優れ、新そばと言えば普通、秋の新そばを指します(それと区別するため、夏の新そばは「夏新」と呼びます)。東京では、新そばは10月末から出回りますが、10月中は夏新の粉と混ぜて使う店も多く、新そばを本当に楽しめるのは11月からと言われています。
そばは、同じ広さの畑で作っても米の3割程しか収穫できないため、国内生産は減少の一途。現在、日本のそばの80%は輸入物です。風味にさほど違いがないとは言え、せめて新そばだけは、新鮮な国産そば粉で食べたいものです。
そば【蕎麦】(古名「そばむぎ」の略)とは
そばは五穀(米、麦、キビ、アワ、豆)以外の雑穀で、国内では大変古くから食料として栽培されています。そばはタデ科に属する一年生草本である。原産地は東アジア北部とされ、中国・朝鮮から日本に渡来。ロシアに多く栽培。多くの品種があり夏ソバ・秋ソバに大別。茎は赤みを帯び、花は白。収穫までの期間が短く、荒地でもよく育つ。果実の胚乳で蕎麦粉を製する。一般に食用のそばは、そば属に分類される15種の中の普通ソバとダッタンソバ(別名:苦蕎麦)の2種のみである。ちなみに「蕎麦の花」は秋の季語
。
※普通ソバとダッタンソバの大きな違いは、他家受粉(普通ソバ)か自家受粉(ダッタンソバ)かである。
植物には段階的な類別の『群』にわけることができ、その『群』の階級を上級から下級に示すと下記のようになり、最下級は『種』となります。これは『国際植物命名規約』でうたわれています。そばを分類して表すと、
【門】・・種子植物門
【亜門】・・被子植物亜門
【綱】・・双子植物綱
【亜綱】・・離弁花亜綱
【目】・・タデ目
【科】・・タデ科
【属】・・ソバ属
【種】・・ソバ
となります。そばの学名は、【Fagopyrum esculentum】(ファゴピルム エスクレンツム)と言います。【Fagus】(ファグス)という『ブナ属』と【Pyros】(ピロス)という『小麦』を組み合わせに由来しています。言うなれば「ブナに似たもので小麦のように食べられる」となるかと。
そばの歴史と栄養
日本で最初のそば作りの記録は、養老6(722)年『続日本紀』のなかに残されています。1200年以上も前から日本人の暮らしと深く結びついいるそばは好んで食べられてきました。好敵手うどんとの好みを見てみますと、一概に決めつけられませんが、東日本では「そば」が好まれ、西日本では「うどん」が好まれる傾向があるようです。大きくは気候、つまり栽培適地の違いがあげられます。小麦の栽培には、年間を通して温暖な気候が必要ですが、そばは寒冷地に強いのです。だから、東日本では、そばの栽培が多いので「そば文化」が強い。西日本では、小麦粉の栽培に適しており、「うどん文化」が強くなってきたのです。また、東日本では、冷たいものを一気にツルツルと味わう傾向があります。西日本では温かいものをフーフーと冷ましながらゆっくりと楽しむ傾向があり、こういった点も好みの差となっているようです。それでは、なぜそばが日本人に好まれてきたのでしょうか。
@ | どんなやせ地でも、寒冷地でも栽培でき、短期間で実を結ぶ作物であった。 |
A | いろいろの食べ方(だんご、そばがき、おかゆ、そば切りなど)ができたこと。 |
B | 毎日食べても飽きない食べ物であったこと。 |
C | そばにはヘミセルロース(食物繊維)が豊富に含まれているので消化吸収がよく、栄養価も高い。 |
D | 調理が簡単。水で溶くだけ、あるいは生でも食べられた。 |
E | 長期保存ができた。 |
F | 最近では、そばにはルチンと呼ばれる毛細血管を強くし、動脈硬化を防ぎ、血圧降下の働きをもつ成分が多く含まれているとのことで脚光を浴びている。またルチンは、膵臓機能を高める働きもある。そば1食分にはルチン100ミリグラムが含まれている。 |
そばの良いところは、種物と呼ばれるバリエーション豊かな具がのっていることです。エビ天、野菜天、イモ天、かき揚げ、山菜、きつね、月見、京都の人が大好きなニシンそばなどなど。またそばには、各種薬味が付いています。薬味にもそれぞれ効能があります。
◇七 味:血行をよくし、消化吸収を高めるカプサイシンとカロチンが含まれています。
◇ネ ギ:アリシンという成分がそばのビタミンB1の吸収を高めるほか、疲労回復、冷え性に効果があります。
◇ワサビ:辛み成分シニグリンは、そばに含まれるビタミンB2の働きを高めるほか、殺菌効果もあります。
◇ゴマ:カルシウムとビタミンEが豊富に含まれています。
そば粉の種類とその挽き方
そばはさまざまな名称で呼ばれる。
「御前そば」=白いそば
「田舎そば」=黒っぽいそば
それぞれ、味、香り、舌ざわりなどが異なる。これが、大名など上流階級のそばと一般庶民のそばとの区別にもなっていた。それが、「さらしな」系、「やぶ系」など、そば屋の屋号の起こりになっている。
@ | 「玄そば」(殻つきのもの)を天日で十分乾燥させる。 |
A | 次に「みがき」といって、泥、層などを除く。層とはそばの実の一角についているへタである。これがそば粉に混じると風味を落とす。 |
B | 玄そばを石臼で粗びきすると、黒い外皮がはがれる。 そばの粒の形を保ったもの=「丸抜き」 大きく割れたもの=「割れ」 五つくらいに割れて2ミリほどの粒になったもの=「上割れ」ができる。 |
C | 「上割れ」は全体の三割はど出るが、これだけを選別してひいたものを「さらしな粉」といい、この粉だけでそはを打つと真自な「さらしなそば」になる。 |
D | 「上割れ」を除いたもの(「丸抜き」と「割れ」)が並みのそば粉の原料になる。まず最初に軽くひいたものが「一番粉」で、これも色の白い粉である。 |
E | さらに挽いてふるったものが「二番粉」。 |
F | 残ったものをもう一度ひいたものが「三番粉」。 |
G | 最後に残ったものが「した粉」で、そばの甘皮の部分。これは乾めんの色つけなどに使われることもあったらしい。ふつうは家畜のエサになる。 |
一番粉は旨味もあり、香りもよく、甘味のあるそばができるが、粘りが少ないので、そば切りをつくるには高度の技術が要求される。二番粉以下がいわゆる「田舎そば」といわれ、香りと歯ごたえと、そば独特のアクの強さを売りものにしている。そばは色が濃いからといってそば粉を多く使っているとはいえない。白いそばも、黒いそばもそれぞれ持ち味がある。 |
江戸時代、江戸の町では多くのそば屋が生まれました。藪、砂場、更科など、おなじみの屋号はその頃からのものです。 | ||||||||||||||||
薮 | 更科蕎麦とともに東京蕎麦の代表。江戸時代の末、根津団子坂に蔦屋というそば屋があった。幕末に店がつぶれ、その経営権を明治13(1880)年に買ったのが堀田七兵衛。堀田の長男は神田連雀町に、次男は浅草の並木に、三男が上野池之端に、それぞれ店を構えた。当時、団子坂の付近には植木屋の薮が多かったので、「やぶ」のそばのそば屋と呼ばれ、ついに薮が名前になってしまったという。蔦屋は竹薮の若芽をつんで青汁とし、それでそばを打ったので、緑がかった色になった。そのためか薮系列のそば屋のそばは、クロレラ入りなど緑色を出したものがあり、田舎そばは挽きぐるみほど黒くはない。「蔦屋」の看板は、その後連雀町の「神田やぶそば」に受け継がれ、ここを中心として結成されたのれんの集団・藪睦会は首都圏に約50軒。有名なのは浅草の並木薮蕎麦。ツユは辛めです。 | |||||||||||||||
『並木藪蕎麦』(台東区雷門)は、神田藪蕎麦を作った堀田七兵衛の三男、勝三が1913年に起こした店で、神田藪とは「はとこ」同士の関係。ちなみに、この並木藪と神田やぶと、同じ「はとこ」世代が経営する池ノ端の藪を、江戸っ子は「三やぶ」と呼びます。浅草雷門前の大通りに面したこの『並木藪蕎麦』は、池波正太郎、山口瞳など、多くの粋人、文化人に愛された、江戸前のそばの名店中の名店です。 | ||||||||||||||||
現存する最古のお店:神田淡路町「神田やぶそば」 | ||||||||||||||||
(上野藪そばつゆ) | ||||||||||||||||
更科 | 薮蕎麦とともに東京蕎麦の代表。寛政元(1789)年、信州の呉服屋清右衛門が麻布永坂に、信州蕎麦処太兵衛の看板を掲げたのが初め。清右衛門はそば打ちの名人で、麻布網代町に江戸屋敷のあった保科(ほしな)家に出入りし、勧められてそば屋に転身した。更級郡産のソバを使用したのだが、藩主に保科の料の宇を使うことを許された。更科系のそば屋は、総本家更科布屋太兵衛、麻布永坂更科本店、更科堀井、芝大門更科布屋、布恒更科(南大井)、銀座更科(築地)、神田更科(神田錦町)、さらしな乃里(築地)がある。更科系のそばの特徴は名のとおり、ソバの実の中心部分のみを挽いたさらしな粉を使用する。香りより上品な歯ざわりとのど越しを珍重する。ツユは淡泊なめんの味にあわせるため甘めです。 | |||||||||||||||
現存する最古のお店:「永坂更科・布屋太兵衛」、また、太兵衛直系の更科堀井も本家を名乗る。 | ||||||||||||||||
(永坂更科生そばセット) (永坂更科そばつゆ) |
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砂場 | 発祥は大阪である。豊臣秀吉が大坂城築城の折りに、城の近くの現、大阪市西区新町2丁目に砂場を設けた。ここに集まる職人目当てにそば屋が出店した。砂場は、そばの代名詞になるほどだった。砂場を名乗るそば屋「和泉屋」が江戸へ下ったのは、18世紀頃。「砂場」の本家は麹町7丁目「砂場」、ここから明治初頭に「室町砂場」と「虎ノ門砂場」が独立した。現在の砂場は首都圏を中心に砂場会が組織されていて180余軒の会員を擁しているが、大阪に1軒もないとのこと。砂場系のそばは一番粉の白く細い麺に、やや甘めのツユが特徴といわれる。(更科ほどではない)麺量は少ない。 | |||||||||||||||
『南千住砂場』(荒川区南千住)は、数々の砂場を生んだ砂場藤吉の直系筋が、1912年に麹町から移った店です。ここのいち押しは、なんといっても「とろろそば」だそうです。 | ||||||||||||||||
現存する最古のお店:「南千住砂場」(1804年麹町で創業後、1912年に南千住へ移転) | ||||||||||||||||
その他 | 関東では、上記の他に、いろいろな屋号のおそばやさんがあります。『長寿庵』、『増田屋』、『松月庵』、『大村庵』、『満留賀』、...。庵という屋号が多いのは、18世紀中頃、浅草の道光庵というお寺に、そば打ちの名人の住職がいて、そのそばを食べに、遠くからも客が押しかけていました。道光庵は、繁盛し過ぎたために本院からそば作りを禁じられてしまいますが、江戸ではその名声にあやかって、屋号に「庵」をつけるそば店が続出。「長寿庵」や「大むら庵」の起こりがそれです。
同じ屋号の店はファミリーレストランのようにチェーン店というわけではなく、殆どが独立採算のお店です。主人が修行した店の屋号をもらって付けるので同じ屋号になるわけです。修行した店の屋号もそのまた修行した店からもらっているわけで、店の系図は複雑に入り組んでおり、同じ屋号だからといっても同じ系列とも限りません。例えば『薮』と『薮そば』と『やぶ』と『やぶそば』は違いますし、『大村庵』と『大村』と『大むら』も明確に区別しておかなければなりません。『まるか』と『満留賀』と『満る賀』も違います。読み方も『まるか』と読んだり『まるが』と濁って読む店もあります。
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そばに関する用語 | |
そばこ (蕎麦粉) |
ソバの実を挽(ひ)いてできた粉。そば切り、そばがきなどにする。 |
そば切り | 蕎麦粉・小麦粉にヤマイモ・卵白などを入れ、こねて細く線状に切ったもの。ゆでて、つゆをかけ、またはつゆに浸して食べる。今は普通にそばと呼ぶ。 |
そばがき (蕎麦掻き) |
そばねりとも言う。蕎麦粉を熱湯でこねて、餅状としたもの。醤油・つゆをつけて食す。 |
もりそば (盛蕎麦) |
そば切りの原点的食べ方。ゆでた蕎麦を蒸籠(セイロウ)などに盛ってつけ汁で食べるもの。 |
ざるそば (笊蕎麦) |
江戸中期、深川のそば屋が丸い竹ザルにそばを盛って出し、評判になった。上に細かくした焼海苔をかける。 |
かけそば | 気の早い江戸っ子が、そばをツユにつけるのを面倒くさかり、そばにツユをかけて「ぶっかけ」と称したのが始まりという。 |
田舎そば | 昔ながらの挽きぐるみの粉を使って打った黒っぽい色のそば。 |
たぬきそば (狸蕎麦) |
関東で、揚げ玉と刻んだ葱(ねぎ)とを入れた掛けそば。関西で、油揚げを入れた掛けそば。同じ「たぬき」といっても具が違ったりするので注意。 |
かもなんばん (鴨南ばん) |
南ばんは、「南蛮」の意味で、日本に来たポルトガル人やスペイン人が未知の国での病を恐れ、殺菌作用のあるねぎを油で炒めて盛んに食べたことから生まれた言葉。南ばんには、「鶏南ばん」「肉南ばん」などがあるが、具が違うだけである。「カレー南ばん」は、中にねぎが入っているのでそう呼ばれている。 |
玄そば | 殻のついたままのソバの実。 |
そば米 | むきそばとも言う。三角形のソバの実の殻を除き、軽くゆでて甘皮をむいて干したもの。粥や雑炊のほか、吸いものタネにもする。ロシアのカーシャはそば粥のこと。 |
一番粉 | 粗挽きした時に割れて出る胚乳の中心部を挽いたもの。内層粉。さらしな粉、御膳粉ともいい、玄そばの15%しかとれない。色は白く、そばの香りは弱いが、ほのかな甘味と香りがある。 |
二番粉 | 一番粉のあとにとる胚乳や子葉の粉。中層粉。そばの香りが高く、栄養価も高い。 |
三番粉 | 最後にとれる、甘皮を含んだ船、表層粉。色は黒っぽいが香りが強い。しかし、繊維質が多く味や食感は劣る。 |
挽(ひ)きぐるみ | 殻を付けたままのそばを挽いたもの。もしくは、殻を取り除くが、甘皮部分も一緒に挽いたもの。これも黒色が強くなる。田舎そばは、この粉を使用することが多い。 |
生(き)そば | そば粉100%のそば。十割そば、生粉(きこ)打ちともいう。 |
地粉(じごな) | その地方で収穫し、製粉したそば粉。 |
霧下(きりした)そば | そばは、寒冷地の方が良質なものができるといわれています。「霧下そば」と呼ばれるものです。これは夜霧が発生するような、つまり昼夜の温度較差が大きいところほど開花が揃って(そばは開花が不揃いなことで知られる)、多収で良質のそばができることをいったものです。黒姫や戸隠が有名。 |
つなぎ | そば粉をまとめるために加える材料。小麦粉を主とし、山芋や卵を加えることも。また海藻のフノリ(新潟のへぎそばなど)やオヤマボクチの繊維(信州富倉そばなど)、豆腐などを使用する地方もある。 |
九一(くいち) | そば粉9、つなぎ1で打ったそば。 |
外一(そといち) | そば粉10、つなぎ1で打ったそば。 |
二八(にはち) | そば粉8、つなぎ2で打ったそば。この割合のそばが最も多い。七三、六四、半々もある。 |
三たて | うまいそばの条件は、挽きたて、打ちたて、ゆでたて、の三つという。しかし店によって、挽きたては香味がまとまらないとか、打ちたてでなく少しねかしたほうがよいとか、必ずしも三たてがいいとは限らない。 |
種物(たねもの) | 汁そばで、そばの上に何かの具をのせたり、付けたりしたもの。天ぶら、鴨南蛮、おかめ、きつねなど多種がある。 |
ぬき | 種物の汁そばからそばを抜いたもの。ツユをダシで薄くのばしてある。酒の肴によい。 |
辛汁 | 江戸流のそばツユの分類で濃いつけヅユ。塩分が濃いのではなく農厚な昧が決め手。もり、ざるにからめて手繰る。辛汁の作り方は色々だが、普通はかえしとダシを合わせて1、2日寝かせる。 |
甘汁 | かけ、種物に使う薄い汁。かえしとダシを合わせるのは同様だが、寝かせることはしない。 |
かえし | 醤油、砂糖、みりんを合せたツユのベ−ス。醤油を煮立てる本がえしと、煮立てない生がえしがある。ともに10日から数力月、冷暗所で寝かせる。 |
そば湯 | 「そば湯」とはそばをゆでた釜の湯です。冷たいそばを食べ終わって残ったつゆにこのそば湯を足して飲みます。店によって違いがありますが、たいていは「湯筒(ゆとう)」と呼ばれる器に入れて出てきます。「そば湯」にはそばをゆでた時に出たルチンなどの栄養分が溶けています。また、もりつゆは、そのままでは辛くて飲めませんが、そば湯で薄める事により、だしの香りなどがほのかに感じられたりしますし、食後の口直しにも最適です。自分の経験から、しっかりした店ほど何も言わずとも食後のタイミングを見計らって「そば湯」を出してくれます。どのような容器でどのような「そば湯」が出てくるかで店の姿勢も伝わってきたりします。 |
雑学 | |
そばつゆ | そばつゆをつくるには、関西では昆布を用い、関東ではかつお節を用いることが多い。かつお節の産地は、枕崎(鹿児島)、土佐(高知)、焼津(静岡)が有名。「春節」(4〜7月に獲ったもので加工)と「秋節」(同じく8〜9月)とがあり、一般的には春節(近海もの)が脂肪が少なくて品質がよく、秋節(三陸もの)は脂肪分が多く、脂やけなどを起こしやすいので劣るといわれている。かつおは、赤身魚だから鮮度が落ちやすい。鮮度のよいものを加工することがポイント。形からいうと「本節」と「亀節」とに分かれる。「本節」は3キロ以上の大型魚を三枚におろし、それぞれの片身をさらに2つ割りにしたもので、1本のかつおから4本とれる。「亀節」は2キロ以下の小型魚を3枚におろし、2つの片身をそのまま加工したもの。名称の違いはこの加工形態の違いによるもので、品質とは関係ない。西日本では節にカビ付けをしない荒節を多く用い、「荒木節」、「荒亀節」という。東日本ではよくカビの付いたものを多く使う。乾燥がよくないものを枯れが若いといい、若いものでつくったダシ汁はにごりを生じる。 魚質の悪いものでつくった節もクセがあり、ダシ汁が澄んでこない 。製品となったかつお節の良否を見分けるのは容易ではないが、目安として、折った場合ポキッと断面がきれいに割れるものがよく枯れた節である。また、節の表面がきれいなものはど質がよく、肌がざらついているものは脂肪が多く品質が悪い。そのほか、鮨節(まぐろ)、宗田節(関西では目近節という)、鮪(さば)節、鮭(むろ)節、うるめ節、穎節(いわし)、などがあり、ダシ用として使われるが、かつお節の風味には劣るといってよい。 |
そばとうどんとでは、つゆやだし汁の濃度(塩味)にも違いが見られる。一般にそばのつゆやだしは味が濃く、うどんの方は薄い傾向にある。これは、そばは麺目体に甘味が少ないからで、濃いめの味で旨さをプラスする必要があるためである。一方、うどんは、麺に甘味と旨味が含まれているから薄い味の方が合うようだ。うどんの旨味は、生地の寝かせによる酵素作用で生まれるものである。 | |
のどごし | うどんとそばの共通点として、なめらかな麺につゆもしくは汁(だし)といった液体をつけること、そして「のどごし」で味わいを楽しむことがあげられる。そば、うどん自体は淡泊であるが、つゆ、だしの味がアクセントをつけている。 |
その他 | そもそも、そばは戦前までは、間食でした。従って、歴史の古い老舗ほど、一枚のそばの量は少ないのです。 |
そば粉を麺にすると、味の劣化が格段に早まります。これがラーメンなら、麺の状態でも持ちがいいので、製麺所で作られた麺を仕入れればいいのですが、そばはそれができないため、90%以上の店が、手打ち・機械打ちの違いはあるものの、粉を仕入れて自分のところで麺を打っています。その上、一度茹でたそばは、味の劣化が始まります。色が変わり、シャキッとした勢いが失われますので、そばをおいしく食べようと思ったら、出されてすぐに食べるのがコツ。 | |
そばはのびるのか?そばはのびないのが普通である。ただし、つなぎが影響する。例えば小麦粉を多く使用しているそばだったら勿論のびるであろう。 | |
なぜそばやうどん、ラーメンが人気があるのか?ある説によると、日本人の好む料理には、水分の比重の高いものが多いのだそうだ。日本人の主食の米飯は水分が65%、豆腐では90%を占めている。 |
ご当地そば | |
へぎそば |
新潟県、長岡・十日町の郷土料理。つなぎに布海苔という海藻を使用したつるつるののどごしが特徴のそば。へぎと呼ばれる四角い器に盛りつけられる。(こちらも参照) |
宮古そば | 福島県山郡町”宮古”のそば。そばの実の6〜7割程度の粉を用いてつなぎは使わず、そば粉だけで手打ちしたもので、しかもそばは白く、歯ごたえのあるツルンとしたのど越しが特長。 |
出石そば |
兵庫県但馬地方の小京都出石町名物、手打ち出石皿そば。昔ながらの伝統の味を守り続けている出石そばの歴史は古く宝永3年、信州上田から国替えになった城主仙石氏によって伝来。 |
祖谷そば |
徳島・祖谷(いや)地方の郷土料理。祖谷地方は、平家落人の隠れ里。焼畑でつくられ、主食がわりにされてきた「祖谷そば」は、こしがあって少し太めで香り高い素朴な舌ざわり。 |
瓦そば |
山口県下関市豊浦町の郷土料理。茹でた茶そばを鉄板で焼き、熱した瓦の上にのせ錦糸卵、炒めた牛肉、ねぎ、のり、スライスしたレモン、もみじおろしをトッピングしたもの。 |